Tuesday, October 31, 2006

¿Què es la religiòn?


そういや、私は昔からストイックなところがあった気がする。勉学のために楽しいことを今を犠牲にして努力を貫くことが出来る人だった。何もかもそこから始まる。知っているはずなのに、最近の私はだめだ。必要なことに努力を捧げるべきその傾斜の角度が甘い。だから、未だにスペイン語も仕事も何もかも中途半端なまんまだ。

最近、酷く自制心の強い人と会った。キリスト教徒で、その教義全てを信じているわけではないとは言っていたけれど、それでもその人が持つ克己心は、キリストが十字架に翔られた時に払った犠牲や名誉と重なって見えた。こんなに頭のきれる人に会ったのが久しぶりでなんだか嬉しかった。

私が宗教ってものに初めて興味を持ったのは、3年前にインドでボランティア活動をしたときだ。キリスト教系のNGOで3ヶ月間、今いるより任地よりも酷い貧困地域で働いたときだった。NGO職員は牧師とシスター。毎朝、毎晩計2時間かけてお祈りと儀式を行なう。自分の全てを、プライベートを、将来子供や旦那をもつことすら犠牲にして、村々を巡回し貧しい人たちのために一生働くのが彼らの仕事であり、日課であり、それが彼らの運命だった。彼らが何かに感動を覚えるとき、至福を感じるとき、感謝するとき、言葉の節々に必ず神があった。いったい、神って誰のことなんだろうか。ずっと、分からなかった。今でも私には理解できないことの方が多い。

克己心ってのは、自分に克つことだ。自制、自粛、自戒ってのは、自分をコントロールすることだ。もし、ここにその神がいて背中を押してくれているんだとしたら、それは、神が自分を征服することになるんだろうか。神の言葉を自分なりに解釈しているとしたら、それは自分が自分自身の行く道に明かりを灯しているってことになるのか。神がこう言うから、従うっていう論理が理解できない。神が言うのだから、そうあっていいんだっていう許しに救われたい。

宗教に惑わされ、魅了されもする日々。

写真は、平和部隊の友人達とお別れ会にて。久しぶりに留学時代の時に味わったようなバカ騒ぎに身も心も浮いた週末だった。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home