Saturday, March 17, 2007

Tengo sueños que quiero realizar, si o si.




将来なりたいものがある。私がこの世にこの時代に生きている意味がここにあると信じ、いのち尽きるまで自分の身も心も捧げたいフィールドがある。

10代で初めて東南アジアを旅したときに知り合ったベトナム人少女リーとの出会い。このアンフェアで理不尽な世界のシステムや時代の潮流に疑問を持った。私ガ日本で贅沢をすること、いや、ただ“生き延びること”すら、間接的に世界のどこかで貧しい人の誰かを苦しめているのかもしれない。勝手で極めて一方的な使命感を抱いて開発のフィールドで仕事をすることに魅せられてきた。今、私は協力隊としてボリビアにいる。

ボリビアにきて、人生観、価値観、将来に対するヴィジョンが変わった。変化したと言うより、以前暗闇にいただけに、現場で状況を把握して少しだけ将来の方向性が見えてきたってだけかもしれない。私が着任当時からお世話になっている同僚たち。協力者、友人たち、魂的に汚くて醜いが、人間臭くて憎めない愛しいボリビア国に感謝をしたいと思うようになった。かけがえのない恩恵を授けてくれたことを全身全霊込めて感謝したい。どんな形で彼らに恩返しできるか考えてみた。もしかしたら、私がこの業界で学を身につけて経験を積んでまたボリビアに戻ってこれたら、それが一番彼らに本当の意味で還元ができるってことなのかもしれないという結論に行き着いた。、

私が地球上に存在する多くの問題を少しでも良い方向に変えるなんて大それたことは将来にわたってないかもしれないけれど、私が私として生きてこれたこの幸運に対する感謝の気持ちを、私に捧げてくれた貴重な経験へのお返しをお世話になったボリビアの人々に、世界中の人々にしたい。そんな思いが私の活動の原動力であり、体の奥底からみなぎるモチベーションとなっている。次、何が待ち受けていても怖くない、だってI have a dream,。

写真は、私がフォローアップで入ったJICA医療プロジェクトのプロジェクト終了評価団体との懇親会。いつも大変お世話になったプロジェクト長である専門家A先生は仕事もできるが人格もすばらしい。仏陀というコード名を影で関係隊員から付けられたほど。今回いらした東京からの評価グループは全部で4人。JICA、民間のコンサルで働く方たちで、半分のお2人はアフリカとアジアの協力隊出身者。二人とも医療系の経験を現場で摘んで、未だに保健系に携わっているよう。お二人から、大学院とその後の就職、さらに結婚について詳しくアドバイスをして頂きました。この業界、女性は40代でやっと結婚するのが普通だとか。子供を持つのは絶望的ですと。結婚したいなら早めにどうぞとのこと。おおお。ナチートジュニアがこの世に生まれてこないってのは、そいつは恐怖だ。何が待ち受けていても怖くないってのは修正で。

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