ブログ移転のお知らせ No.2
先日お知らせしたURL変えます。なんか、気に入らなくって。見る気もおきず。只今、再構築中なり。
皆さんご無沙汰してました。大変遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。
昨日、ボリビア ― ペルー -メキシコ -ワシントンDCと経て、
12月1日の国際エイズデーに先駆けて、世界HOTアングルに「HIV陽性率が最も「低い」国ボリビアでのHIVケア・予防啓発活動」という題名で私の活動が掲載されました。お暇な方はどうぞ一読を。
今、この2年間で最大の休暇を過ごしています。気持ち的にも、時間的にも、空間的にも。
今週半ばに市内に住むHIV陽性者を招いて初のオフィシャル会合を私の配属先オフィスで開催するために、現在一軒一軒回って陽性者を招待しています。
プロジェクトでコラボしているNGOのHIV教育者(彼自身も陽性者)と共に戸別訪問するのですが、今まで彼から聞いていたことからは見えてこない側面がいくつもありました。あの時得た印象、感情、疑問を忘れないためにここに簡単にメモとして綴ります。
・ 近隣大都市サンタクルスで会う活動家感染者とは言動が大きく異なる
・ 感染していることを受容できないでいる段階(どうせ死ぬのだから、人に知られずにそっとして置いて欲しいという態度。陽性である旦那(22)は、薬もいらないという。奥さん(21)が血液検査の結果を2ヶ月以上も掘って置く。家族と同居するも本人ら以外誰も知らない。「自分の健康を自分で守らなければだめだ」というHIV陽性者の言葉に「そうだね」と返答しながら、目が浮遊している若者の顔が忘れられない。)
・ 共通点は、貧しい若年層(10代後半から20代前半)のカップルで小さな子持ち。下痢、発熱、重度の栄養失調などの日和感染症で倒れて市内の病院に運ばれたときに診断された人が多い。逆に、教育的背景や経済的理由からより抵抗力を持っているだろう一般市民・裕福層は発見されていないだけで潜伏しているのだろうと考えられる。
・ 市内の医療スタッフに対する異常な不信感
・ 隣4軒目ほどに住んでいる感染者同士でも情報交換を好まない
・ 家族がサポートしている感染者は割と活動的で我々にも好意的
・ 職業は、木材家具を作る職人、バイクタクシーの運転手、藁のベッド用マットレス造り職人、教師、無職など
・ 当プロジェクトを実施するに当たって、陽性者の積極的参画を保障することが重要。
・ 陽性者にとって、プライバシーというのはどこまでを意味するのか。個人によって違うだろうし状況にもよるはず。でも、どこまでは確保されるべきか。ベースラインはどこか。
先月行った病院での会合では、人の集まりが悪く、多くの感染者が病院という公の場所で他人に見られることを恐れたからというフィードバックがあったため、今週は試しに配属先オフィスでよりプライバシーを確保して開催する。さて、どれだけの人が来てくれるか。HIVプロジェクトは市内初の試み。地道にでも持続させることが何よりも大切。
写真は、感染者を戸別訪問しているときに歩いた市の風景。一枚の写真は、市に3つある市場の一つ。県内第二番目の大都市(日本でいう横浜位な位置付けだと私は思っている)と言われていてもこのように中心から少し外れるとすぐ田舎になる。
ゲイが好きです。尊敬もしてます。
今日、久々に仕事で泣いた。情けなかった。自分でも大失敗だったと思ったことを母親のように慕っている同僚に「私はNatsuに恥じをかかされた。」と、職場で上司の前で突き上げられた途端に先週からずっと貯まっている睡眠不足と疲労感がドット目じりに出てしまった。人前では泣けないから、すぐキッチンまで走ってお茶を沸かす振りをして涙をふいた。