Wednesday, February 27, 2008

ブログ移転のお知らせ No.2

先日お知らせしたURL変えます。なんか、気に入らなくって。見る気もおきず。只今、再構築中なり。

Thursday, January 24, 2008

ブログ移転のお知らせ

皆さんご無沙汰してました。大変遅ればせながら新年明けましておめでとうございます。

多くの皆様に支えられたこのBLOGを閉め、新しいBLOGを新設したくここにご報告します。というのも、2007年11月にボリビアでの隊員としての活動を無事に終えてこのURLの意味がなくなること、2008年を迎え時期的にも切りがいいこと、目標視聴回数1万件を突破したこと、などなどの理由があるためです。

帰国後たったの1か月半で、私の生活はがらりと変わりました。仕事、恋人、家族。。。内容盛りだくさんでお伝えします!ぜひのぞいてくださいねん。

Friday, December 21, 2007

Feliz navidad!!! ハッピーメリークリスマス!


皆様、今年も大変お世話になりました。
まだまだ、日本国に魅了され続けテンションが未だ高まる一方ですが、それでも、やっぱり南国ボリビア・サンタクルスが恋しい!
周りには、サンタを醸し出してくれるような要素は全くなく。外にいきゃー極寒で染み入るし。モー、ひっきーになりそう。
サンタが近くにないなら作るしかない。ってことで、サンタにありふれていた牛さんにまずなってみることに。
クリスマス2007 EN TOKIO。まぶだちと女二人でデートです。傷の舐め合いってやつです。舐められたい人、舐めたい人。まだまだ募集してます。

Sunday, December 09, 2007

帰国しました

昨日、ボリビア ― ペルー -メキシコ -ワシントンDCと経て、
2年ぶりに無事日本帰国を果たしました。

各地でお世話になった皆様、心から感謝してます。
メヒコのゆりちゃん、DCの恵美ちゃん、アイミスユー!

日本っていいなー。清潔で安全でオーガナイズされている。
日本食が世界で一番美味しいとあらためて実感。

新しい進路が決まったらまた連絡します。
決まるのいつになるかしら。。。

Friday, November 30, 2007

活動に関する記事の紹介

12月1日の国際エイズデーに先駆けて、世界HOTアングルに「HIV陽性率が最も「低い」国ボリビアでのHIVケア・予防啓発活動」という題名で私の活動が掲載されました。お暇な方はどうぞ一読を。

http://hotangle.jica.go.jp/america/bol/

帰路変更にて旅行中

今、この2年間で最大の休暇を過ごしています。気持ち的にも、時間的にも、空間的にも。

まずは、チリ。その次に、ペルー(トランジットのみだが、ボリビアから訪れたためその発展ぶりに驚愕)、そしてメキシコ(ボリビア隊員OBOG宅を訪問中。素敵なお二人&8か月の匠ちゃん)、最後にワシントンDC(JICA職員さん宅におじゃまする予定&留学時代の友人を訪問!)を周遊して、我が故郷へ帰国するのは12月9日です。

いろいろ、活動の締めくくりや大好きになったボリビアへの想いを語りたいのですが、今は私の帰路変での旅行を純粋に楽しむ時間にしたいと思います。

とりいそぎ、報告まで。

Tuesday, October 16, 2007

メモ: 市内に住むHIV陽性者戸別訪問


今週半ばに市内に住むHIV陽性者を招いて初のオフィシャル会合を私の配属先オフィスで開催するために、現在一軒一軒回って陽性者を招待しています。

プロジェクトでコラボしているNGOのHIV教育者(彼自身も陽性者)と共に戸別訪問するのですが、今まで彼から聞いていたことからは見えてこない側面がいくつもありました。あの時得た印象、感情、疑問を忘れないためにここに簡単にメモとして綴ります。


・ 近隣大都市サンタクルスで会う活動家感染者とは言動が大きく異なる
・ 感染していることを受容できないでいる段階(どうせ死ぬのだから、人に知られずにそっとして置いて欲しいという態度。陽性である旦那(22)は、薬もいらないという。奥さん(21)が血液検査の結果を2ヶ月以上も掘って置く。家族と同居するも本人ら以外誰も知らない。「自分の健康を自分で守らなければだめだ」というHIV陽性者の言葉に「そうだね」と返答しながら、目が浮遊している若者の顔が忘れられない。)
・ 共通点は、貧しい若年層(10代後半から20代前半)のカップルで小さな子持ち。下痢、発熱、重度の栄養失調などの日和感染症で倒れて市内の病院に運ばれたときに診断された人が多い。逆に、教育的背景や経済的理由からより抵抗力を持っているだろう一般市民・裕福層は発見されていないだけで潜伏しているのだろうと考えられる。
・ 市内の医療スタッフに対する異常な不信感
・ 隣4軒目ほどに住んでいる感染者同士でも情報交換を好まない
・ 家族がサポートしている感染者は割と活動的で我々にも好意的
・ 職業は、木材家具を作る職人、バイクタクシーの運転手、藁のベッド用マットレス造り職人、教師、無職など
・ 当プロジェクトを実施するに当たって、陽性者の積極的参画を保障することが重要。
・ 陽性者にとって、プライバシーというのはどこまでを意味するのか。個人によって違うだろうし状況にもよるはず。でも、どこまでは確保されるべきか。ベースラインはどこか。

先月行った病院での会合では、人の集まりが悪く、多くの感染者が病院という公の場所で他人に見られることを恐れたからというフィードバックがあったため、今週は試しに配属先オフィスでよりプライバシーを確保して開催する。さて、どれだけの人が来てくれるか。HIVプロジェクトは市内初の試み。地道にでも持続させることが何よりも大切。

写真は、感染者を戸別訪問しているときに歩いた市の風景。一枚の写真は、市に3つある市場の一つ。県内第二番目の大都市(日本でいう横浜位な位置付けだと私は思っている)と言われていてもこのように中心から少し外れるとすぐ田舎になる。

Tuesday, October 09, 2007

ゲイの女役の方から学ぶことは数知れず

ゲイが好きです。尊敬もしてます。
見た目も、身振りも、他人の交わし方も。

ちなみに、オカマという種の人もいますが、
ゲイは「彼女」たちとは違います。ゲイは男性です。

一度だけ禁断の恋に落ちたことすらあります。
その5秒後に、隣の男性といちゃつきだしたので、
おもいっきり、ブロークンハート。
ああ、こういのは、一目惚れと言いましたか。

ゲイの女役の方から学ぶことは数知れず。ああやって
打算的に女性的フェロモンを醸しだせる技を、そんな風に
エロかわいい無垢な笑顔を作る方法を、そうやって
魅力的な男性と自然に肌と肌のスキンシップを計れる術を。

・・・弟子にして。

Saturday, September 29, 2007

情けなさ過ぎて涙

今日、久々に仕事で泣いた。情けなかった。自分でも大失敗だったと思ったことを母親のように慕っている同僚に「私はNatsuに恥じをかかされた。」と、職場で上司の前で突き上げられた途端に先週からずっと貯まっている睡眠不足と疲労感がドット目じりに出てしまった。人前では泣けないから、すぐキッチンまで走ってお茶を沸かす振りをして涙をふいた。

今週末、9ヶ月間土日も夜も使って同僚と作り上げてきたHIVエイズ包括的ケアプロジェクト作りが終盤を迎えた。市長からの土地も寄付され、5人の医療関係者や事務職の雇用契約をまとめ、資機材の予算見積りから建築設計図の調達も無事に終わり、啓発キャンペーン実施にかかる消耗品は市から、将来的に建築予定のセンターにかかる光熱費や消耗品などはローカルNGOから頂くことにもなった。明日中にセンターや職員の各機能を示す規約を作り終えれば、胸を張って提出できるレベルにしたつもり。

マスコミなどの協力と彼らが持つ政治への圧力もあり、国家レベルで私の任地が県庁所在地以外で初めてHIVエイズ対策・ターゲット地区と指定されることにもなった。(ちなみに、こちらのオンライン新聞から当プロジェクトの一部の情報は見れます。http://www.el-nuevodia.com/versiones/20070923_007227/nota_257_483859.htm)今後、当プロジェクトが実現され、任地がHIVエイズのテーマでモデル市となってくれたらと夢想してしまう。

よく他の隊員にどうしたら配属先の人が日本人のように夜も土日も働いてくれるようになるかといった質問をくれる。私の場合、周りの人に恵まれたとしかいえないのだけれど、それを言うと聞いてきた人が腑に落ちないのか、しかめ面をするので、インセンティブの重要性について言及している。

そのひとつの具体的な対策が、マスコミに取材されたときには必ずお世話になっている人の名前を出すこと。感謝している旨をハッキリと伝えること。今日、市役所でマスコミ10社ほどを招待した記者会見があった。市長を横にして大勢のマスコミに一度に質問され緊張したのか、一番共に動いてきた配属先と国内NGOに対する熱い想いだけをなぜか言及し忘れてしまった。その後、同僚に「Natsuは一生学ばないね。」と皮肉られ、カッときて言い合いになった。自分が悪いのも忘れて正当化しようとしたけど、私に責任があるのを自分自身が一番分かっていたもんだから情けなかった。情けなさ過ぎて涙が出た。

涙が出たら、一切合財の心の曇り空が消えて晴れ晴れし、また同僚と笑い話ができるようになっていた。5時に口喧嘩して、結局仕事を一段落させてその喧嘩した同僚と帰ろうとしたら夜の10時を過ぎていた。南国のサンタクルス県で一番働いているのは私たちだろうと、改めて私の配属先の同僚を誇らしく思うのでした。

Monday, August 27, 2007

ぼりびあトリビア 任地編その1



帰国前に一度は書いてみたかった任国で出会ったトリビアたち。約2年ボリビア国に住んでいるが、未だに驚愕させられる毎日。日々のトリビアな出来事、現象、物体を何編かに渡って紹介したい。

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「それも捨てんのか!」

おそらく、どこの途上国でもよく見かける光景。路上でのごみのポイ捨て。

ある日、路上を歩いていると目の前を通り過ぎたバスの窓から何か落ちてきた。ボテッと音を立てた輩。使用済みオムツだ。

それからというもの路上に落ちているオムツが目に付く。それもそのはず、捨てられているオムツの9割が野良犬に荒され、包まれているはずの汚物が周囲に飛び散っている。原型を留めていないだけに、生物界の自然現象として相受け入れられない不快感がある。

先日、路上に投げ捨てられるのは赤ちゃん用だけではないことが発覚した。「ナプキン、お前もか。」そう放った瞬間、疲労感に包まれた深いため息が漏れそうなのを感じた。けれども、実際に出たのは「ふっ」って音が出そうな軽い笑いだった。例えて言うなら、可哀想な人を見て母性本能がくすぐられる、そんな極めて歪曲した感情だった。

この国に住んで、この国の人に幾度と失望し、この国を少しでもよくしたいと思ってここまできたけれど、結局一番変わったのは自分だった。この国のとんでもない側面を人事として考えられなくなってしまった自分。親ばかってこんな感情を言うのか。