Friday, March 30, 2007

「真実」

人は
ひとつ気付くたびに
ひとつ傷ついて
ひとつ手に入れるたびに
ひとつ失っていく

- 沖田世寿

足復活じゃ。


3日前に再び病院へ行きました。

抗生物質入りの注射と腫れと炎症を緩和する薬でかなり回復し、おかげで松葉杖なしで歩けるようになりました。半日歩き回ると足が膨張し始めて痛み出すので、まだ全回復とはいえないけれど。それでも、もう心配後無用!個人メールやBLOGでコメントくださった皆様、ありがとう(号泣)。意外と、ああ、こんなお忙しい人も読んでくれてるのねって、そんな学びもあり。

この2年間でできれば、一度も噛まれたくなかったが、もしかしたら経験しておくべきだったのかもしれませんね。将来も医療保健畑で食っていくことになりそうなので。自分の体験から得たものは、それだけ深い学習効果をもたらしますし。

しかし、お犬様が怖いです。道で遭遇すると体がC字になる。こっちが驚くとあっちも驚くので、よろしゅうないですね。

噛まれた犬を10日間ほど観察して死ななければ大丈夫。しかし、怖くてあのお犬様のお家になかなか近づけないと言うと、周りの人間に揶揄嘲弄され、死ぬぞと脅されます。3日前診てくれた医者に「一週間たったけれど、まだ一度も観察しに行ってない、犬が生きてるのか死んだかもシリマセン。」と洩らすと、処方薬の表に、

1.●×抗生物質
2.×●薬(8時間おき)
3.君をかんだ犬の観察(毎日)

と書カレマシタ。

今日で、あれから10日目。再び会ってきます。奴のことだから、しぶとくまだ生きてるだろうよ。

写真は、市内のアメリカ平和部隊と近所のバーで安いが旨いアルゼンチン・ワインを飲んでるところ。左からMaryland大学、Virginia大学を卒業。両者とも東海岸で、DC付近。そして、有名な大学。ちなみに私の交換留学先の大学は、その中間地点にあり、地理的な共通知識があるためか、Statesの話になるといつも盛り上がります。酔うと100%スペイン語会話になる。松葉杖で酔っ払うと目的地まで一人ではたどり着けないこが判明。はい、やめます。

Tuesday, March 27, 2007

片足機能不全


噛まれた足の状況報告。

添付写真のように、腫れが前よりもひどくなって色が青っぽくなっているような気がします。 汚い足を公開。失敬!

ちなみに痛みで歩けないので木製のマイ松葉杖を大工さんに作ってもらいました。松葉杖って大変なんですね。。。手のひらが内出血。抑える脇も腫れて痛い。今まで使う機会がなかったことに感謝。

半日外に出ていると足が痛くなり頭痛がします。周りの同僚(医療従事者である同僚たちは、病気するといつもの5倍うるさくなります。有難いものです。)に「狂犬病とは違う感染症の恐れがあるよ」、「もう一週間経つのに、ちっともよくならないのはおかしい」、「えー、まじで抗生物質飲んでないの?!」、「日本は知らんが、こっちに住んでる犬の唾液ってやばいくらい汚いんだよ。」、「片足切断だな。。。ははは!」、「そいつはやぶ医者だ、俺がみてやる」等などワンサカ言われ、びびり出す・・・明日病院行ってみます。

毎週月曜に事務所で行なわれる早朝ミーティングで、配属先の上司に今週は仕事よりしっかり休んで直せ、と強く仰って頂きました。が、今週末までに提出しないといけないプロジェクトがあり、それどころではございません(号泣)。しかし、物理的にこうも良くならないとちょっと怖いな。日本とは違って衛生的に環境、悪いからな。

Monday, March 26, 2007

Feria de Salud, un proyecto de USAID(the United States Agency of International Development)







Friday, March 23, 2007

Un objetivo apropiado a lograr


自分を安売りしないで

無理するくらいがちょうどいい。

ちょうどいい。

El herido

さすが健康ナチート。回復が早いです。もりもり食べれるようになり、傷口もふさがってきた!立てるようになった!足を高くしていれば痛くない。ご心配なく。写真載せますわ。傷口はたいしたことないでしょ。皮膚科包帯巻かれ続けて庭いそうなことになってるだけで。痛くて歩けないのは、この腫れからきているみたい。わかる?

Thursday, March 22, 2007

Me moridio un perro en la calle cerca de mi casa

大惨事発生・・・21日夜、近所の路上で犬にかまれた。

左の足首。皮膚がぽっかり開いた。骨が見えた。噛まれてそのまま道に倒れた。手足が震えてる。インドでデング熱をもらったときと同じような動揺。野次馬が瞬く間に20名ほど倒れている私を取囲む。

「この犬、狂犬病のワクチン打ってる?」

私の第一声。結構落ち着いてる。次に何しなきゃいけないか頭の中で考えてる。噛まれた後に打つワクチンがある場所を思い出してる。その間に犬の飼い主が狂犬病ワクチンを打った証明書を手に抱えながら、私に近づいてきた。とりあえず二人で近くの病院に行くことに。近所のお兄さんが車を出してくれた。

お兄さん「あの犬、もう何人と人噛んでるんだぜ。」
私「え。何人くらい?」
飼い主「12かな。」
お兄さん「12人中、半分はもう死んだよ。」
お兄さん・飼い主 (大爆笑)
私「・・・(いや、笑えねぇ。)」

緊急病棟で手当てが始まる。嫌なことを思い出した。隣町で犬にかまれた先輩隊員が病院で傷口をプラスチックの固いブラシでかなり強くこすられ、痛さのあまりに失神したという話。

私「先生よ。ブラシは使わんでくれないか。」
医者「もちろん。僕ブラシもってないし。」
私「ああ、それはいいやね。ブラシで傷口をあんまり強くこすったら、それこそ危険だよ。」
先生は、綿を使って2種類の消毒液で洗う。ブラシがなくてもやっぱ痛い。しかし、当病院には私の同僚も多く、私を知っている人が多いので、泣くのも、叫ぶのも、許しを請うのもとにかく我慢。我慢の10分間。あっけなく終わる。

全工程が終わって、報告と確認を込めて事務所の健康管理員に電話する。

管理員「いますぐ街まで出てワクチン打ってもらってください。」
私「先ほど説明したAntitoxicoという打たれた注射は、もしかして狂犬病ワクチンとは違うんでしょうか。」
管理員「それね。破傷風を防ぐやつで、打っても打たなくてもいいのよ。じゃ、今から街まででてねー。」

時計を見たら夜7時。ぎくっ。夜の街はちょっぴり危険で怖いのだ。
街行きのバスに乗って20分。骨の中に亀裂が走るような痛みが始まる。太ももを強く押さえて、痛みを紛らわす。急に頭がぽーとしてきた。日本の家族の顔が浮かんだ。母の声が聞こえた。兄弟や父の笑顔が見えた。涙がほろほろ落ちた。暗いから誰も見てないだろうと思って、気が緩んだんだろう。

一時間後、私立病院に近いところでバスを降りた。降りたというか、落ちたに近い。足が動かない。血が包帯から染み出てきていた。タクシーに身を投げ入れ「病院まで」と言うので精一杯。病院から道路を挟んだところで下ろされ、道を渡りきれずに上半身が地面に落ちてしまった。足が持ち上がらない。バスに轢かれると思ったとき、目の前で止まって早く渡れという合図を出していた。「渡れていたら、もう渡ってるさ。だけど、止まってくれてありがとよ。」とつぶやいて病院のレセプションまでけんけんと乱れ髪で到着。

医者「患部は石鹸と水でちゃんと洗いました?」
私「いやー、もうそれはそれは綺麗に洗って頂きました。もう2回も洗う必要なんてないですよ、先生。」
医者「よし。念のためもう一度洗っておこうな。感染すると怖いからね。」
私「いや。。。しぇんしぇ、それだけはホント勘弁して。。。。」

声が出たいのに、痛すぎて出ない。顔のどこかで詰まっていたんじゃないかな。私すごい顔していたと思う。先生にお願いして、今夜眠れるように痛み止めを出してもらう。帰り際、病院内では車椅子に乗せられてタクシー乗り場まで。立ってても痛い、座ってても寝ていても痛い。いっそのこと失神したいと思ったが、我に返ってこの痛みを無条件に受け止めることにした。翌日。昨晩注射を計3本、それも並大抵の強さではないものを打ったためか、吐き気、頭痛、めまいがする。午前中は診療所で車椅子に乗りながら仕事。午後はお休みを頂くことにした。昨日から食事が喉をとおらない。ただ眠りたい。

Saturday, March 17, 2007

Tengo sueños que quiero realizar, si o si.




将来なりたいものがある。私がこの世にこの時代に生きている意味がここにあると信じ、いのち尽きるまで自分の身も心も捧げたいフィールドがある。

10代で初めて東南アジアを旅したときに知り合ったベトナム人少女リーとの出会い。このアンフェアで理不尽な世界のシステムや時代の潮流に疑問を持った。私ガ日本で贅沢をすること、いや、ただ“生き延びること”すら、間接的に世界のどこかで貧しい人の誰かを苦しめているのかもしれない。勝手で極めて一方的な使命感を抱いて開発のフィールドで仕事をすることに魅せられてきた。今、私は協力隊としてボリビアにいる。

ボリビアにきて、人生観、価値観、将来に対するヴィジョンが変わった。変化したと言うより、以前暗闇にいただけに、現場で状況を把握して少しだけ将来の方向性が見えてきたってだけかもしれない。私が着任当時からお世話になっている同僚たち。協力者、友人たち、魂的に汚くて醜いが、人間臭くて憎めない愛しいボリビア国に感謝をしたいと思うようになった。かけがえのない恩恵を授けてくれたことを全身全霊込めて感謝したい。どんな形で彼らに恩返しできるか考えてみた。もしかしたら、私がこの業界で学を身につけて経験を積んでまたボリビアに戻ってこれたら、それが一番彼らに本当の意味で還元ができるってことなのかもしれないという結論に行き着いた。、

私が地球上に存在する多くの問題を少しでも良い方向に変えるなんて大それたことは将来にわたってないかもしれないけれど、私が私として生きてこれたこの幸運に対する感謝の気持ちを、私に捧げてくれた貴重な経験へのお返しをお世話になったボリビアの人々に、世界中の人々にしたい。そんな思いが私の活動の原動力であり、体の奥底からみなぎるモチベーションとなっている。次、何が待ち受けていても怖くない、だってI have a dream,。

写真は、私がフォローアップで入ったJICA医療プロジェクトのプロジェクト終了評価団体との懇親会。いつも大変お世話になったプロジェクト長である専門家A先生は仕事もできるが人格もすばらしい。仏陀というコード名を影で関係隊員から付けられたほど。今回いらした東京からの評価グループは全部で4人。JICA、民間のコンサルで働く方たちで、半分のお2人はアフリカとアジアの協力隊出身者。二人とも医療系の経験を現場で摘んで、未だに保健系に携わっているよう。お二人から、大学院とその後の就職、さらに結婚について詳しくアドバイスをして頂きました。この業界、女性は40代でやっと結婚するのが普通だとか。子供を持つのは絶望的ですと。結婚したいなら早めにどうぞとのこと。おおお。ナチートジュニアがこの世に生まれてこないってのは、そいつは恐怖だ。何が待ち受けていても怖くないってのは修正で。

Wednesday, March 14, 2007

Mi preocupacion que se me provoca frecuentemente







皆さんこんばんは。

今日の質問。「遺伝的、女性の20代ハゲって、結構いるもんでしょうか。」

3ヶ月前、うちのシャワーの溝が詰まりました。工事屋のおっちゃんが来て、下水に繋がるアナを掘ってみると、毛がうじゃうじゃ出てくるじゃありませんか。全部私の頭に乗っていたとは、いやいや、まさか思えない。ハッとして、一瞬頭を触ってみた。まだ毛は一応ある。

エアロビで踊るとき、朝顔を洗うとき、外のトイレで手を洗うとき、鏡を見ますね。自分の頭の毛を見ますね。ドライヤーで髪を乾かすとき、櫛ですくとき、髪を洗うとき、髪の毛が抜けるのを感じますね。気のせいでしょうか。以前よりもデコの辺りのソリが深く、以前よりも抜ける量が増えた気がしますね。

私の父方のおじい様はツルンでした。父も20代後半から割りと早く進化を遂げたそうです。私の母方のおじい様は今も健全でウィスキーを毎晩おちょこで量を測って嗜んでおります。彼は現在80を超え割と白髪が多くなりましたが、10年前までは黒髪ふさふさの勇ましい男性でした。さて。私。遺伝的に考えると、禿げておかしくないんですよ。

将来、結婚したいです。素敵な家庭を築きたい。健やかな子供を2人か3人授かって旦那と毎日いちゃつくんだぁ。一生一途にさせてほしい。結婚相手とマイウィッグ。どっちを先に見つけることになるかな。女性用アデランスの使い心地、どうなんでしょ?


写真は、保健ボランティア講習会。診療所の医療関係者が定期的に村を巡回しているのだけれど、やっぱり24時間見張ることはできないので、各コミュニティーに保健ボランティアを配置。そうすることで、疫病、感染症などの病気の早期発見ができる。そのために、彼女達は週に1度から2回、診療所の看護婦が主催する講習会で学を身につけています。私も彼らと混ざって勉強中。今回のテーマは結核。医療関係者のあるべきアテンドの姿を保健ボランティアが演劇で披露した後、即席で私と医療従事者で悪い例を見せる。私は、看護婦役。いや、まじで酷い看護婦でした。

Sunday, March 11, 2007

me permiten ser flojeraaaaaa porfi!!!




最近の私の生活リズムは誠にいけてないっ。目の前のことをこなす日々。赴任前に聞いていた隊員活動の特徴はどこいった!「仕事は自分で探しに行くもの」・・・。そう信じてたのに。あー、今年には入ってから土日がほとんどない。今日は土曜だってのに、USAID(米国開発庁)のコンサルタントがうちのオフィスに来て、来週ミネロ市の学校でやる保健教育活動の実施企画を配属先の同僚たちとたてることになった。シエスタが3時間もあるこの国で昼飯食べる時間すらなかった。朝から企画書と当日のプログラム作って、教材のマテリアルの準備して、帰宅したのは夜の8時。

私が担当するのは、高校生対象で、テーマは「栄養不良」と「食品の分類」。1年も栄養改善プロジェクトやってると、配属先には栄養のプロと思われ始めていて、上司ったら、勝手にUSAIDにナチートを栄養のテーマの担当に割り振るように申請していた。いいけどさ。頼ってくれて嬉しいけどさ。やるけどさ。今回の保健教育プロジェクトのファシリテーターを勤めることで、USAIDから“手当て”が出るらしい。当日の教育マテリアルの支援費を当ててくれないのに本当かよって思っちゃう。おいら、お駄賃いらんからフツーの休日欲しかった。なんか、ぶつくさ文句言いたいときってあるよね。そんなこんなで疲労で帰宅したら、アルゼンチン産全粒粉クラッカーに爽やかチーズ(モッツアレラに近いの)を乗っける私の中で今大ヒット中の即席フードをばか食いした。

そうだ、最近自分の生活リズムが乱れていて、何より気合が足りてないので、帰国後の日本社会のリズムにも合わせられるように、スペイン語検定とTOEFLを同時に半年以内に受けることにしました。スペゴ検定は、世界共通のDELEってやつ。レベルは3つだけ。いきなり中級からうけてやるさ。初級はだな、公的な意味を全く持たないらしい。過去問見てそりゃそうだと納得。しかし、それにしてもTOEFLか・・・英語がきょわい。ピースコーと話すくらいの気合の要らない(?)会話ならとりあえずいいとして、文法とかボキャブラリーとかすっかり忘れてしまった気がする。一日4時間(2時間英語、あと2時間スペ語)。睡眠とエアロビする時間を削ったら実行できるかな。あー、こんなコメントしている時点で怠慢な態度があふれ出ている。実行しようと思えばできるんよ、姉さん。時間はある。作らなきゃないが、作ればある。一日に24時間あるんだ。じゃ、とりあえず今日はちゃんと寝ることから始めますわ。まじ疲れた。
写真はボリビアのPapaの誕生日にて。カレーを日本人旅行者と一緒に作りました。お昼にワインを4人で4本あけました。

Sunday, March 04, 2007

Un taller de un proyecto de JICA acerca de agua para las comunidades pobres en Chuquisaca

先週、チュキサカ県でボリビア国内の村落開発普及員と青少年活動の職種の隊員が一堂に集って、ボリビア国内で展開中の村落および水供給関係の3つのJICAのプロジェクトで活躍されている専門家らをお招きし、3日間に渡る村落分科会が開かれた。主な目的は、隊員にJICAプロジェクトに関する情報提供すること、プロジェクトと隊員の「緩やかな連携」に関する隊員意見の掬い上げ、活動に関する隊員間の情報共有など。

ボリビア国では「分科会」なるものは、本来なら隊員主導で、半年に一度開催されるボランティア総会の前後に開催されるのが主。そうすることで経費が浮くので。しかし、村落開発普及員の隊員数の劇的減少と予算削減による障害からここ1年以上開催されていなかった。今回は、事務所主導で開催。おかげで、内容はボランティア主導では実現できなかったようなプロジェクトの現場見学、住民と植林活動、専門家によるプロジェクト概要の発表、専門家による参加型ワークショップの開催など盛りだくさんの会になった。一方で、事務所側の準備不足から混乱をきたしたということもあって、両者ここから学ぶことが多かった。

写真は、植林活動。今回は分科会と言うよりは研修のような色が濃かった。自慢じゃないですが、植林活動はうまれて初めて。3本の苗木を劇的乾燥地帯、貧困率90%以上の超貧困コミュニティーで植えてきました。あたり一面禿山。はげ、はげ、はげっすよ。植えたのは、土壌浸出を防ぐための木で地元にもともとある種類。雨が降ったら、水が苗木に溜まるように周りをちょっとくぼませたり、乾燥を防ぐために苗木の周りにビニールを乗せたりと乾燥地域ならではの様々な工夫を凝らした。住民の代表者たちが手伝ってくれて、約100本くらい皆で植えてきた。

元気に大きくなあれ。ボリビアの未来よ。















Saturday, March 03, 2007

El cielo de mi fantacia

心配や憂いは新しいものを考え出す一つの転機。

正々堂々とこれに取り組めば新たな道が開けてくる。

-松下 幸之助