Tuesday, May 30, 2006

Estoy loca del perrito hermoso que recien ha llegado a nuestra casa

As I say here in Castellano, I am crazy about the doggy recently came to our house. She is a month old and a very wheedling dog. She never stops crying until she gets nursed by somebody. She still cannot run well although she jumps high like a cat. I wonder if she would be able to jump like that high even if she gets bigger…a mere of this thought frightened me.

I used to have a dog, a special dog, named Shiroppo, which died last year at my grandma’s house. We never let him in our house keeping him outside in the yard. So I actually don’t know how to train dogs in wee and excrement. When the doggy, Peruza, peed in the hallway of our house, I pushed her nose right on the thing and tapped her head a few times saying "How dare you did this! You smell it, here! Never do this again!". Since then she seemed to hate me… am I making a pretty mess?


Sunday, May 28, 2006

Una pelea muy infantil


ボリビアに来て二度目の人間不信。

一度目の出来事は、ラパスにいた頃に起きた自分の活動とは関係のない人との揉め事。多くのJICA関係者や友人に助けられて、問題も私のハートも落ち着いた。距離的にも離れているし、時間と共になんとなく忘れつつあるし、何よりもこれを機に非常に勉強させてもらったので、実のところ早い段階でこの種の問題が起こったことを感謝している。アメリカ平和部隊の友人には「どの外国人も通る道」、先輩隊員には、「ボリビア人の特性」、プロジェクトの専門家やラパス語学学校の先生からは「失いたくない友人であるならそうであるほど、○○○は避けた方がいい」という温かい助言を頂いた。

二度目は、つい最近の出来事で、一緒に活動していた女性グループの代表とのいざこざ。揉め事の発端は非常に幼稚で、女子小学生低学年で起こるようなしつこくねちこい喧嘩に発展。私はどちらかというとこのグループ内の潜在的に存在していた亀裂の渦に巻き込まれたようなものだが、結果としては、代表がいない亀裂の向こう側に私が付いたことになったため、グループが真っ二つに分かれることになってしまった。その際に、今まで信頼して活動を共にしていた代表にこれでもかという卑劣で嫌味な御言葉を頂いた。これには物凄く凹んだ。

けれども自分の存在意義や活動方針をもう一度問う機会になったし、なによりも、ことが起こった後に毎晩のようにグループのほかのメンバーと会ってフォローアップを続けることで、一部のメンバーとの距離がぐっと縮まった。ボリビア人恐怖症になるかとも思ったが、どん底にまで落ちた私を救ってくれたのは、当の住民だった。当女性グループのみならず他のグループの一部のメンバー、今一緒に活動している市役所の人間や栄養士らが、私を「援助を持ってくる外人」ではなくて一人の人間、Nachitoとしてみてくれること。むちゃくちゃな私のスペイン語にも耳を傾けてくれること。経験の浅い小娘に敬意をもって接してくれること。こういう人が周りでサポートしてくれて自分の活動ができているということをこの事件を皮切りに知れたことは何よりもありがたく、現在の私の活動への大きなモチベーションに繋がっている。

Saturday, May 27, 2006

Una entrevista de tele sobre mi actividad del uso de la soya

ここに来て、テレビに出たのはこれが初めてではない。でも、スペイン語をしゃべる自分の姿をTVのスクリーン上で見たのは今回が初めてだ。それにしても意外としゃべれている!初めてテレビで抱負を語った2月から比べてスペイン語がかなり上達している!恥ずかしさ半分ちょっと嬉しかった瞬間。

Thursday, May 25, 2006

Una visita a una asociación de descapacitad

今、新しく興そうとしている活動に「障害者のための所得向上プロジェクト」がある。出会いは、例に漏れず私の活動の広報を手伝ってくれているテレビ局のカメラマン兼キャスターのミゲル。彼はいつも面白い人間を紹介してくれる。電話一本で活動の様子も撮影しにきてくれる。

このモンテロ市にあるクリスチャン系の障害者支援団体にはメンバーが120名ほど。メンバーは、それぞれが物理的に障害を持つか、または障害者の家族だ。アメリカのNGOから毎月車椅子や松葉杖の貸し出し支援があるだけで、そのほかには特に支援を得られていない。当団体の代表は、いすは座るためのものだ。食べるためには職が必要。といって、車椅子があってもそれ自体は問題の解決にならないと主張する。市長には幾度とプロジェクト企画書を提出し、生きる為に必要な食、職、家、教育などの基本的な支援を求め続けたが、市には金がないとして拒絶され続けたという。私自身も、近隣に公の援助によって成り立っている障害者施設がないかこの分野で働く関係者を通じて調べたが、サンタクルス県内には存在しないようだった。

団体の代表者マリオが私のオフィスを尋ねた時から、彼の考え方、人間関係の築き方と姿勢に共感を覚えて、一緒にプロジェクトを作りたいと思うようになった。また、何回か団体の幹部とミーティングを持つうちに彼らには十分に企画作成能力があること、やる気の高さと団体の持続性があるのではないかという感覚を得た。

先日、モンテロ市の障害者支援団体の幹部と一緒に、隣の村にあるイタリア人牧師の支援によって成り立っている幼児障害者施設を訪問した。施設の子供達は重度の障害を負っていて、施設内にしゃべれる子は19人中1人、殆どの子が寝たきりの状態だった。11歳とは思えない大きさの子、暴れるからと言って足を縛られ柵に入れられたままの子、奇怪な音を出し続ける子、前後に揺れ続けて頭をかき続ける子。多くの子が親に捨てられ、名前や年齢が不明だという。この日ここに来たのは、私達のプロジェクトの示唆を得るためだったが、私は理由もなく凹んでしまった。

帰り道、モンテロ市の障害者支援団体の代表が、この子達に比べたら僕達の腕がない、足がないといった障害はなんでもない。勇気付けられた。といって、目を輝かせて語ったのが印象的だった

Saturday, May 20, 2006

Pintura en curpos de Ms.Minero, Pretty Secretaria y yo

今日は、ミネロ市の53周年記念日。そして、なぜかミセス・ミネロ市と市の評議会会長のモデルのようなべっぴん秘書と共にボディーペイント・モデルに選ばれた私。3人で並んで写真を取られるが、やつらの顔の小さいこと。色の白さも相俟って、さらに私は膨張してみえる。

そういえば、最近太った。確実にこれからも太り続ける気がする。なんてたって、今まで断っていた3食以外の朝10時と午後3時以降のティータイムも最近ではすんなり受け入れるようになった。以前までは意固地な態度で口にしなかった砂糖たっぷりの果汁ジュースも飲めるようになってきた。大好きな菓子パンを見つけてしまった。こっちの芋も食用バナナも日系移住地で作られている餅米も好きだ。2ヶ月間通い続けたエアロビクスにも、夜の織物教室のためにもう行っていない。

近場にエステを専門とする医者がいるらしい。エアロビクスに通う常連のおばさんが名刺をくれた。腹の肉は運動で落とすのは限界があるから取ってもらったほうが楽よ、とのこと。ボリビアでメスを入れるくらいなら、腹でてた方がいいわ。



Thursday, May 18, 2006

La ventaja de enseñarles Origami a los niños


Oye, kids love Orgami here. They go nuts when I teach them, constantly asking me "hey nachito, how's mine?" "I am doing okey?" "Isn't it nice?""How about mine?" "Look!" Until I really take a look at it, they keep asking me those questions without considering that I help other kids folding papers one by one.

I try to teach them something practical; for example cups, boxes, glove puppets, etc, so that they can actually utilize them at home. I always tell them that they have to teach other kids and the neighbors what they learned. The people in this area have nothing. Even the kids eagerly ASKED me if they can take the paper home.

Origami can be a great communication tool. Once you teach kids here orgami, they call you "aunt" and try to hold onto you and start talking to you affectionately. I like working for children. No bonds of politics and money between us.

Sunday, May 14, 2006

Un artículo sobre mi actividad


最近、メディアに自分の活動が取り上げられることがある。ローカルテレビ局のカメラマンやアナウンサーたちや新聞社の記者らと仲良くなったというのもあるが、外人はどこの国でも好奇心をそそる見物なのだろうか、頼めばいくらでも特集に取り上げてくれるほど面白がってくれる。先日、取り上げられた記事は、私が現在業務調整を行っている大豆を使った栄養教室についてで、インタビューへの私の返答が“まともな”スペイン語に変身して載せられていた。ここに、一部のみ翻訳して紹介したい。

「JICAボランティアが、女性グループやその他の組織と連携してミネロ市にて大豆を利用した栄養教室を開催する。日本人ボランティアの[私の名前]が言うには、“現時点では少なくとも80名が参加予定ですが、貧しい子供達の栄養状態を改善するために、さらに多くのお母さんたちが参加してくれることを期待します。”また、大豆生産高でさらに有名な北部の地域での栄養教室の開催も検討中で、“多くの大豆を生産している地域に住みながらもそのベネフィットを活用できていないなんて。”と洩らす。しかしながら、北部の農業関連の企業では大豆を使った料理教室というのは既に行われており、“わが社では、栄養士が社員の食事を作るコックを対象に料理教室を行っている。”とアグロボリビア社の社長は言及する。」

この記事を最初に友人から見せてもらった際は、私の活動を取り上げてくれたというだけで素直に嬉しかった。でも、読めば読むほど何とも言えない遣る瀬無い思いがこみ上げて、私がやろうとしている栄養教室はこんな陳腐なものじゃない、私が人々に伝えたいのはこんな表面的なことばかりではない。。。。もっとスペイン語を磨かなければ相手に伝わらないし良い活動もできない、人々の協力や共感も得られない。こんな思いで胸が鬱積してしまった。言葉が出来ないことによる障害は想像を超えるほど大きい。活動が深まれば深まるほど、言語の障害にぶち当たり自暴自棄になる。

これを教訓に、今晩から毎日30分、どんなことでもいいからスペイン語で物を書くことに決めた。自分の活動企画(目標、背景、メソッド)だけではなくて、例えば、そのアクティビティーの独自性や他にはない特徴や利点みたいなものまで話す相手によって柔軟に変えて(メディア、参加者であるお母さん、オーソリティー、協力してくれる組織、etc.)スペイン語で口頭で力説できるようになるために。

Saturday, May 13, 2006

Mi cumpleaños organizados 2 veces



幾つになっても誕生日を祝われるのは嬉しいものですね。わたくし、GWに生まれた人間でして、他人様から祝われた経験が殆どなく、あまり公言しない習慣がありまして、こちらでも誰一人として知らないはずだったのですが、どこから垂れ流れたのか、私の誕生日会がサプライズで同僚にオーガナイズされました。平日と言うのに、夕方から夜1時過ぎまでホームステイ先の庭で飲み、食べ、踊り続けるという素敵なBBQ会になりました。週末には日系のご家族のTさんのお宅でもお祝いしていただき、久しぶりの日本食にありつきました。皆、心からありがとう。つくづく私はたくさんの人々に支えられて自分の好きなことができているんだなーと感謝の気持ちとご馳走で腹いっぱいになった一週間でした。

Mis Amigos que trabajan para un ONG






As I mentioned before, since I came here I’ve been looking for local resources: institutions, people, some courses, reference books, etc, so that I can work here more easily. I encountered this NGO recently. It was founded by an American father who lost his daughter, an exchange student, in Bolivia by a car accident.

Following his daughter’s will to help people here, the father has created a NGO in Montero, Santa Cruz, where I live now. I often visit the NGO to get to know the people who work there, kids who live in the community and come to the center to study and have free lunch, and mothers who come to the center to learn the nutrition, sewing and all that.

4 foreigners work for the NGO. The two of them are Americans who are alumni of Peace Corp in Niger and Ecuador. They are super dooper cool. They understand my situation perfectly since they used to be a volunteer and went through similar difficulties that I am facing now. Whenever I visit them, they listen to me carefully, consult me and motivate me. They literally make my day! They are now doing a master course in the states and their work here is directly related to their thesis for the grad school. I come to myself, when I talk with them. They remind me of why I wanted to here and what for I came here. They are one of the best persons ever I met, honestly;)

I had a nice dinner at their house the other day. Christina made a special African dish. OOOOOOO! Yummy. My next destination should be Africa, hu! The next weekend I gotta make a din for them. What should it be? Sashimi? Okonomiyaki? Nikujaga? Californian Role? Chopsuey?

Tuesday, May 02, 2006

Mi corazón Colonia Japonesa "San Juan"





優しさってのは強さそのものなんだ。
先日、近隣に住む日系移民の方々のおうちにお邪魔してこんなことを思った。

自家製のお醤油、お味噌、お豆腐、お酒を使った豪華な日本食と釣りたての川魚の刺身で移住地でお出迎えしてくれたM夫妻、取れたばかりの卵、みかんなどのフルーツをお土産に何キロも持たせてくれたMさん、私を娘のようだと言ってお家にいつも招待してくれるご近所のTさん。何もしていない隊員としての活動を心から評価してくれて、見ず知らずの私を家族のように受け入れてくれて暖かい言葉や助言を下さる。

そんな皆さんは、40数年前に地球の裏側に移民しにやってきて、何十年とかけて逆境や困難を乗り越えてきた日系一世の方々だ。「ここは原生林で何日もかけて木を切り倒してさ、風の強い日に火をつけて灰にして、それでもここは熱帯の気候だから二ヶ月もすればまた木が生い茂ってさ。米を作るって言ったって、道もないような森にだよ。初めてここに着いてこの森を見て、愕然としたよ。ここが「楽園ボリビア」かって。」遠い目をして話しながら、当時を思い出しているのか、本当に驚愕している顔をして、その後Mさんは視線を落として黙り込んでしまった。その視線の先に、我が物のように聳え立った熱帯の木々が映って見えた気がした。

逆境の中に身をおいた人は、他者と互いに助け合わずして生き延びることはないと悟るのかもしれない。難儀に会いつつもその困難に屈しなかった人間は、気丈者となり他者を尊重し慮る気持ちの余裕を持つのかもしれない。なんて、勝手に優しさと強さの関係を考えてみたけれど、もっとシンプルに考えられないか。つまり、誰かに優しくあるためには、勘定高く極端な話し、ある程度自分の何かを削る必要があったりする。自分の何かを犠牲にすることが出来る強さってのが、俗に言う優しさなんじゃないか。って、屁理屈はどうでもいいやね。自分に厳しく他人に優しい、こういう強い人間に私もなりたい。