Tuesday, May 29, 2007

ピカピカの日本人との空間





先日、サンタクルス市内のJICA専門家のお宅で新青年隊員、新シニア隊員、そして新専門家の歓迎会がありました。気づいたら、自分は古株になっている。ボリビアに揉まれていないピカピカの日本人との空間。長い間冬眠していたようなそんな気分だった。日本では、穴だらけの寒々とした靴(クロックス?)が今流行っているらしい。逆カルチャーショックってのは、無意識のうちに孤独を誘うもんで、あまり好きじゃない。

 日本人っていいもんだ。



Friday, May 25, 2007

昨年の失恋に転がされる私

失恋っていう失恋をしたことがなかったのです。だから大事な人と育んだ愛を失うことが何を意味するのか知らなかったのです。失くして初めて気づく愛の形、その大きさ。「愛はハート型じゃなくて球だ。だから地球が球なのもわかる。」と言った友人の言葉が今更傷口に沁みる。人生の大義名分を全うする。そのために仕事に生きる。仕事と結婚ってのは両立しないだろうと。そんな恥らしいことを数ヶ月前にこのブログで書いたのでした。

愛が球で、球が地球だと・・・。

どこから見ても円にしか見えない球のように、愛にも見えない奥行きがあるんじゃないか。仕事と愛、どっちに生きる?なんて言う、二元的コンセプト自体存在しないんじゃないか。球のように始まりも終わりもなく、表も裏もなく、捉えどころのない奴。右や左なんていう箱に収まる代物じゃない。地球のように全てを包み込み、何もかもを生かす創造物だったら。生物が地球に生かされているように、人は愛に生かされているとしたら。

失った物を取り戻すことほど度胸のいるものってない。「変わることが唯一の不変」って言った友達もいた。だから、あの時の愛を再び咲かせようと執着すること、それ自体ナンセンスなのかもしれない。君に手を伸ばす。つかみ所のない球が手から、愛という球が心から、涙という球が目から転がり落ちる。その球が転がり続けて、いつか君の元に辿り着いて欲しいと願う。こんな失恋。

写真は任地から5時間ジープで北部に行った先にある郡内で最もアクセスが悪くて最も貧しい地域にある診療所を同僚と訪問し、結核ケアや検査に関する指導を行った日。一枚の写真はお昼の風景。私の周りにいるのが大好きな看護婦の同僚たち。

Monday, May 21, 2007

4つの山を越える


今週末、アメリカ人の女友だちと一緒に2日間で40キロ、4つの山を越える山登りをしてきた。金曜の夜、雨が降る中任地を出発。直前まで仕事に追われていたので、部屋で目にした使えそうなものを手にして待ち合わせ場所のバス停まで大急ぎで到着。遅刻15分。あたりを心配そうに見回している彼女を遠くで発見。大声で叫ぶ。

私  「クラウディア!!!え、そんな大きな荷物?何もって来たの?」
彼女 「テント、寝袋、食材、調理用具、もろもろ。」
私  「なんか悪いね。わたし、言われた通り、毛布とスパゲティーしかもってきてないよ。」
彼女 「大丈夫よ。」

その後、2000メートル級の山と谷を越える間、彼女の「大丈夫」を何度聞いたことか。全くもって、大丈夫ではなかった。勘違いもいいろことだった。靴、かばん、持参した食材と水の量。スニーカーもどきのお洒落靴の所為で足の指が痛く前進不能となる。寝袋がないために寒さで眠れず。肩掛けかばんのために背骨が2日間曲がり続ける。喉の渇きと飢えに耐えて山々を谷を川を越える。耐えられず、川水を専用の薬で殺菌して飲んだ。彼女が緊急用に持っていた薬だ。まさかとは思ったが、その夜泡を含んだ下痢に見舞われた。

ボリビアで登山するとはということなのか。通りすがりの貧しい農民に襲われる。野良犬に噛まれる。虎やパンサーに遭遇する。道なき道で迷子となって遭難する。餓死する。自然災害にあう。感染症にかかる。考えられないことが起こりうるってことなんだ。

山頂から眺めた谷の景色、努力と流した涙の数ほど美しい。いくつも山々を越え、前の山頂から数十キロ進んだことを視界に納め、どれだけ自分が成長したかを噛み締める。日が沈めば、雨や風が強ければ、自然に従う。逆らえない運命をしょって、一つ一つの障害を越えてやっと目的地に到着するあの思い。山登りに自分の人生を写しだす。谷があれば、山があるんじゃ。

痛い腿をさすりながら、クラウディアにこの旅に誘ってくれたことを何度も感謝した。友情がまた一つ深まった貴重な週末になった。

写真は出発の朝、小雨の中出発。その他の写真は近日中UPです。

Thursday, May 17, 2007

糖尿病研修会


郡内の診療所36箇所の代表医療従事者を対象とした糖尿病研修会がここ1ヶ月間開催されました。主催は、WHO(世界保健機構)と県で。"日本病院"という名前のボリビア最大の3次病院から糖尿病専門女医が3名来て、4つのモジュールに沿って説明していった。週に一度のコースで、内容は、理論、診断、教育法、処方、アウトコントロール、栄養など。時間はみっちり丸一日かける。実際に町に住む患者を招待し、血液や尿の検査を行ったり、教育を施したり、カードを使ってゲーム感覚で栄養について学んだり、実際に自分にインシュリンの注射(もちろん、インシュリン注入まではしないで、針をさすだけ)を経験したり、盛りだくさんの研修になった。

糖尿病っていう生活習慣病は日本でもよく聞くし身近な気がしていたが、ひどく危険な病気。心筋梗塞、皮膚、神経、目の網膜などの病気、足の骨の歪曲化、その他感染症など、放っておくと結構恐ろしい。糖尿病患者をケアする、症状をコントロールする方法は、以前までは一人の医師によって処方され、その指示に患者が従うのみであった。現在は、継続的なグループケアと教育が主。医者、エクササイズ指導者、栄養士、心理士と、そして患者。一同が各患者の目標に沿って、その人のペースに合わせた治療方法を考案し実施する。

糖尿病、特に4種類の中でも南米で患者数が最も多いタイプ2(スペイン語と英語では、こう。日本語では知りません。)と呼ばれる糖尿病は、その80%が肥満。やせるための食事の減量と週3回の運動、日々のアウトコントロール、インシュリン注入、飲み薬など強い意志がないと持続するのは不可能。何年たっても変わらない。実際に、糖尿病と診断されて10年たっているが、いまだにコントロールしているなんていう患者は少なくない。ボリビア国の物価からいって、月々かかる数百ドルにもなる治療代を払える人はほとんどおらず、途中で投げ出してあきらめる人がほとんど。

現在、任地であるサンタクルス県内人口の30%が肥満。22%が糖尿病。この数値は、15年後には2倍以上になるとWHOは予測している。南米だけではなく、アフリカ、アジア(インド、中国など)も2倍上昇。途上国の場合、非衛生的な環境と、貧困、バランスの悪い栄養、情報や教育の欠乏などから、糖尿病や肥満といった病気も重病となってしまう。HIVエイズ、結核、マラリア、シャーガス病などといった国際的に注目を集めているローカル病を撲滅する必要もあるけれども、こういった生活に根付いてしまった慣習からくる病気は対応するのにもっと時を必要とするのかもしれない。

Wednesday, May 16, 2007

私の配属先の上司


最近、私の配属先である保健ネットワーク事務所の上司が、県内の医療保健分野のプロフェッショナルが受ける賞の中で最も光栄とされる賞を今年授与(医療保健で働くプロフェッショナルの中で最もいい仕事をした人が授与するらしい)されました。彼女の近親や仕事上仲良くしているメンバー10人が招待され、私もカメラマンとして行ってきました。

さまざまな分野で活躍するプロフェッショナルたちが一同に会し当賞を授与したわけですが、1分でも2分でもいいので、どんなことをしたために、どのような基準でその人が一番今年は優れていると評価を下されたのかのサマリーが欲しかった。もらった人も、周りで祝いに来ていた人もそれが知れたらもっと気持ち的に盛り上がるだろうに。こういう不透明さがやたらと付きまとう国、ボリビア、ああボリビア。

それ以外では、ボリビア最高級の5つ星ホテルでの授与式。場所の豪華さに加えて、会場来場者の上流階級さ、出てきた食事の洗練された味わいに圧倒されっぱなしの2時間でした。

隊員ではあるけれども、いや隊員だからこそなのか、日本では誰もが体験できない貧困社会と上流社会を同時に垣間見れる。この醍醐味。しかし、なんだな。私が見とれて見ていたのは、上司がもらったトロフィーなんかじゃなくって、美しい来賓客たち。南米の女性って本当に綺麗な人が多い。私が男だったら、もっと楽しい隊員生活を送れていたはずだ。

Tuesday, May 15, 2007

こんな日

凹凹凹


こんな日もあっていいよね。

人生きっとしょぼしょぼのおばあちゃんになるまで学習の日々なんだろうよ。


元気です。


写真は新隊員とJazzBarに行った夜。

Tuesday, May 08, 2007

自民党の議員団と意見交換

今週末、首都ラパスに上京しました。ブーンと飛行機でおよそ3000Mほどプラグマティックに。

日本から自民党の議員団がいらっしゃり、隊員と意見交換したいとのこと。J駐在事務所のほうから性懲りもなく、隊員代表として(私でいいのか。といういつも通りの疑問をぐっと堪えて)懇談会へ招待して頂きました。

先生方はボリビア国に1日だけ滞在。そのうちの1時間も私たち隊員6名のためにとってくれました。直前まで当国大統領と懇談していらしたそうで。正直、個人的に反省点だらけ。せっかく代表としてお呼びして頂いたのにも関わらず貢献度は哀しいほど低かったのですが、私自身が一方的に学んだところは数知れず。

x 政治経済界の方が抱く協力隊事業の興味分野を垣間見ることができた。
x 政治界で働く方と意見交換する際に必要な姿勢や態度を学んだ。
x 国際協力分野で活動していない人が、自分自身の活動に対するどのような点に関心を抱くのかを知ることが出来た。
x 帰国後、今後の協力隊事業に対してどのように外部の関心や協力を得られるか、自分はそれに対して具体的にどのように貢献できるかなどを考える良い機会となった。

帰国後のアドボカシー準備しないといけないな。帰国フェイス、帰国態度、帰国後報告(関係者以外に向けて)。時間がないとは言えません。時間は自分で作るもの。今日も長い常夏の夜が続きます。

誕生日会報告



先週一週間、人生で一番長くてハートと目じりがすこぶる熱くなる誕生日を過ごしました。

1回目:大好きな同僚たちとバーベキュー&朝まで踊る
2回目(誕生日当日):朝、日本の両親から電話が入る。夜、ボリビアのパパとママ、国内で一番有名な日本食レストランオーナーとチチカカ湖産の虹鱒(大トロ並みの油の乗り)刺身+ワイン嗜めまくり
3回目:大好きな友人(アメリカ平和部隊、協力隊、ボリビア人・コロンビア人友人)を誘って昼食会@ボリビア両親家。日本食・日本河童舞踊・日本伝統音楽の紹介と、夜まで皆でダンス!

ちなみに、ケーキに顔を突っ込む習慣が南米の多くの国にあります。やられる方も相当嫌だが、そのケーキをわけられる客も、作られたケーキ自身も良い気分しないはずだ。楽しければ、後はどうでもいい、なんとかなるっていう御都合主義なラテン文化なわけです。

Wednesday, May 02, 2007

町の郵便事情


私の知る限りでは、日本やアメリカから運ばれてくる荷物が任地まで届かなかったことはない。届くといっても、町の郵便局までなので私から郵便局に尋ねに足を運ばぬ限り一生蒸し暑い崩れかけた郵便局の事務所の中に葬られることになります。だから、サプライズで私に物を送ると、送り主がもっとびっくりするという結末に。

さて、最近外の国から贈り物が毎週のように届きます。郵便局の事務所でやけに輝くのは日本からの小包。他の外の国から届く無味で事務的な小包のデザインとは異なるのです。みかんの箱。通販の化粧品の箱。ユウパックだって2色づり。どれもこれも馬鹿可愛いデザインたち。

ここ1ヶ月で届いた小包総数は4つ+1件まち。はじめに、まい(九大修士後、EU人と結婚、UKリーズ在住)、ゆめさ(学生時代、ボスニアで世銀の国際会議に共に参加)、けい、れい、とも(高校時代の水泳部仲間、昨年ボリビア訪問、東京で好きなことを仕事にする人々)、そしてママ(東京で娘の帰国を待つ可愛い人)から届く。現在、Jim(今でも大好き!な元彼、DC在住)からの荷物を待っているところ。

母からの荷物は国内飛行機会社が郵便物取扱いを辞めたので2ヶ月も待たされた。ちなみに、受けとる際に、1ドルから2ドル払います。なぜと質問したところ、手紙より多きさがデカイからですと。いやあ, さすが 。Boliviaらしいじゃないですか。

皆も経験あると思うけれど、外の国から荷物が届くことほど嬉しいことってない。受け取ってわくわく。開けるときは大興奮。箱の中を探り見るのも楽しい。実際に味わって、使って、聞いて、読んで、眺めて楽しい。皆、ありがとう。贈り物から透けて見えるあなたの愛をありがとう。

代表でここに写真として載せたのは、けい、れい、ともからの小包2つのうちの大きいほう。全部食いもん。底まで全部っす。あう。嬉しい。何で私が、BalanceUpクリームブラン(薬局で売ってる健康ビスケット)のフェチだって知ってたんだ。