Wednesday, January 31, 2007

El tiempo feo


現在、雨季真っ只中。どしゃぶりの雨。東南アジアのスコールというよりも、日本の梅雨のような感じ。一日中降り止まないときもあれば、午前中いっぱい降って午後はどんよりとか、逆に晴天になるときもあるが。

日本のように道路が整備されていれば、社会は雨にも負けず雷にも巻けず機能するんだが、ここでは雨が降るだけで職員がオフィスに来ない。というか、本当に来れない。交通が一挙に減る。道が川になるし、それを怖がって運ちゃんが仕事を休む。だから雨季は仕事にならない。そういえば、一年前に配属先のジープが道にはまって1時間近くの村まで助けを求めて、裸足でずぶぬれになりながら、道なき道を歩き続けたのを覚えている。一歩踏み出すたびに足が泥に埋まっていく感触。その後、寒さにやられて病を患った。そんな季節、今年も到来。

写真は、栄養改善プロジェクト第二段「医療関係者によるコミュニティーでの栄養教室」で、人口200人の村(56世帯)で行なった。ここでは、ちょうど水道のタンクの調子がおかしくて、水が蛇口から出なかった。町からもってきた水を沸かしたものを使用。ここで、やられるなぁと思っていたら、案の定、ボリビアに来て初めて寄生虫を飼うことになりやした。

Sunday, January 21, 2007

Me emociono de una cena super importante en La Paz


来週は、首都ラパスに公務出張。

何かといったら、監査ミッションで東京からいらっしゃるお偉い方々との懇親会に出席しろとの上様のおおせ。そのために、わざわざラパスまで飛んで上京。。。「前回のニュースキャスター○○さんとの懇談会ではスカされたので、今回はそういうことのないように、スケジュールは“必ず”空けて」との念まで入る。わたくし、何かとんでもないことをしでかしたのでしょうか。私なんかより、国内隊員の中には、外部受け良さそうなキラっと輝いている方々が無数におりますってのに。この口が悪いのでしょうか。この顔?いや、そんなね。活動報告書?長けりゃいいってもんじゃない。実は、秘蔵のコネだったりして。大学時代の友人がJICAマンなんです。ざっと、6人。(あっ少ない?)うち、二人はボリビア事務所で働いている方と知り合い。

新しい方々とお知り合いになるの好き。でも、たまに口と顔が滑りますので、悪評波風立たせるくらいなら、この任地の小さな町でそっとしておいて欲しい。でも、顔売るのだ~い好き。でもでもでも。って、私に出欠の選択権はなかったのだった。簡単に活動概要を3分程度で説明ですって。

「制服着用とはいわずとも、綺麗な格好で。」
生憎、綺麗な服は肌の露出を伴わない服がございませんの。低地は南国なんです。肌蹴ていてナンボなんです。なるほど、私はどこにいてもトロピカル気分ですけれど。他に専門家4名,シニア隊員1名,隊員2名が参加らしいですけれど、私一人制服着用じゃなんだかなぁ。さ、そんなことより、栄養改善プロジェクト第3段の準備と日程が被りそうなので、その汚点をどう始末するか頭を捻らないければ。
ちなみに、UPしたプロジェクトのフローチャートについて説明すると、コミュニティー、幼稚園までのプロセスは既に終わっていて、現在は第三段階の対象者である老人会、障害者団体、公立学校での教室を開催する予定。ちょっと分かりづらいね、この図。もうちょっと改善してみるわ。

El destino de estar aquì en este momento y con los queridos

ブログってのは、書きたいときに書くべきです。

私の家族や友人に私のこっちでの活動や生活について報告したいとき。
活動や想いを記録として残しておきたいとき。
何かをクリアにしたいとき。
自己を内省したいとき。
自分を鼓舞したいとき。
騒々しい心を落ち着けたいとき。
自分の過ちを看破したいとき。
軌道修正したいとき。
夢の形を見つめ直したいとき。

でもやっぱり、一番は、話を誰かに聞いて欲しいとき。

最近、ブログの代わりに、話を聞いてくれる人が、わんさかできちゃった。
最近、スペイン語が口から流れ出てくるようになったから?
最近、その分、日本語がついて出てこないから。
最近、任地を故郷のように想います。
近々、愛しい人々を置いて、日本へ帰ります。
残り9ヶ月。

Proyecto de Asistencia Nutricional Complementaria para el menor de 2 años (1)

下で説明した「モンテロ市2歳児の栄養改善プロジェクト」の第二段階である市内6つの診療所で実施した栄養教室の写真を一言添えて紹介。

12月11日~16日の間で、各診療所の看護士や医者が企画した内容(日程、時間帯、大豆料理レシピの選択、コミュニティー選択、場所・マテリアル確保、広報)で実施。私は、この期間、プロジェクトを作った人間として、各教室の視察に明け暮れた。それ以外では、教室開催の総指揮、マテリアル確保の補助、会計管理、後方サポート、最終的報告書作成などを行なう。

①診療所Naranjal





配属先上司も忙しい中、会議が終わった直後に駆けつけてくれる。






医療プロジェクトFORSA-JICAで現地採用として働いていたファシリテーター・Leydiも私の活動を視察に来る。彼女も、私と同じような立場で栄養改善のプロジェクトに携わっていたので、プロジェクトを進めるに当たっての障害に対して的確な助言をしてくれた。





最終日の展示会にて。夜9時過ぎ。診療所の目の前にあるサッカー場で開催。予想以上に男性が多く集まった。「大豆ってこんなに美味しいのか。これから妻に大豆料理を作るよう頼むよ。」こんなうそっぽい言葉でも、今までの数ヶ月間の仕事の疲れやストレスが一気にゼロになる心温まる瞬間。


②診療所Distrito5

任地の夕焼け大好き。








コミュニティーによっては、ミキサーや粉砕機がない。ないからといって他のところから持ってくるのではなく、あるもので代用。そうじゃないと、実際に彼らが家庭で作ることはないから。ここでは、毎日タクと呼ばれる臼で大豆を30分ほどすりつぶした。ミキサーもこれで代用。



「大豆はまずいから食べない」と言っていた子供達が美味しそうに、誰にも食べられないように早食いするのを見るのが嬉しい。







当診療所の看護士であり、当教室のファシリテーターと。




最終日、私のスピーチに耳を傾ける参加者達。





授業の最後に、自分達が作った食事を配分されるときが一番必死な参加者達。。。



③診療所La Floresta

医療スタッフとの栄養教室前の打ち合わせも、お互いに段々と段取りが分かってくる。



バナナの葉っぱは、ここではオーブン・シート。





出欠の確認。コミュニティーによっては、字が書けない人、サインをしたことがない人がいるので、医療スタッフが代筆。

この診療所では1日のみの実施。参加者からは、もっと他のレシピも学びたい!次回はないの?との声。適当なことは言えないので、診療所のスタッフと検討するから。と答える。こんな住民の生の声ほど嬉しいものはない。

Proyecto de Asistencia Nutricional Complementaria para el menor de 2 años (2)

④診療所Guabira




始める前に、まずレシピに書かれている材料の確認。皆必死。














ここでは、地元の学校を貸しきって夜7時半から10時まで開催。朝7時から夜7時まで働く医療スタッフたちは、仕事が終わってからの教室開催。毎日疲労感が溜まっていく。本当お疲れ様でした。









火の側で働く人は大変。夜だって朝だって胸糞暑い地域。子供達も汗びっしょり。




配属先上司の教室の視察。彼女はローカルTVにいつも出る有名人。郡内の保健分野での最高権力者。参加者の背筋が引き締まる瞬間。上司のスピーチが大好き。一言一言が他人思いで、やる気を出させてくれる。選び抜かれた単語と美しい地元のトーン。聞いている人たちは、知らず知らずのうちに笑顔が溢れ出てくる。


⑤診療所Villa Cochabamba





大豆は質が良くないと、煮ても焼いても苦味臭みがとれない。半日水に浸した後、質のいい豆だけを選び抜く。これが最も時間と手間がかかる。











赤ん坊を背負って参加するお母さんもいる。ただでさえ暑いのに、この民族衣装。私から見ると大変だと思うけれど、彼女達はそれが当然でそれ以外のオプションがないといった感じ。







どの診療所でも、大概実施場所は、地域で信頼を得ている人、割と大きな家や敷地をもっている人の家だったりする。











子供大好き。いつか私も自分の分身作りたい。いつかきっとNatsuquito。「赤ちゃんのパンツを乾かしてあげてるのー。」

















料理がひと段落すると、すぐに井戸端会議。自分の子供の話。近所の人々のうわさ話。おかあさんたちんとっては、これも楽しいひと時。













子供の包み方。誠に、実用に適しない文化って存在しないんだな。




⑥診療所Cruz Roja





「私だって団子くらいできる!」













医者にも大豆料理は大好評。「また、やろうよ。今度はうちのスタッフのランチとしてどう?」





最後に、どの診療所も自分たちの診療所が実施したキャパシティー・ビルディングが一番成功だったねと言う。彼らのプライドが私の誇りでもある。



Monday, January 15, 2007

Natsuko cumple uno de sus sueños

任地に来てから、一番ビッグな活動になった「モンテロ市2歳児以下の栄養改善プロジェクト」。
昨年12月に無事に終った。。。ここでは、1)このプロジェクト実施のきっかけ、2)準備、3)実施、4)今後の計画、5)プロジェクト実施によって得たもの、そして6)所感について簡単に紹介したい。

1)プロジェクト実施のきっかけ
任地着任3ヶ月目から、配属先とはやや距離を置いた形で、市役所や地域の学校給食の責任者である栄養士と中心になって栄養教室を3回開催してきた。その評判が、配属先の同僚の耳に届き評価されるに至り、配属先との協議の結果、2006年後期予算申請(年間計画表:POA)の際に、栄養改善プロジェクトが配属先主催のプロジェクトとして盛り込まれ、企画書を市役所に提出し十分な予算を獲得するまでに至った。理想的には市内2万人が裨益するプロジェクト。

2)準備段階
土日、平日の夜を使って上司Rosaの家で、夜な夜なパソコンに向かって、企画書を作成。気持ち悪いほど静かだなと思って隣を見てたら、上司がすやすや寝ていたりする・・・・。うっ、ただでさえ自分の仕事で休む暇がない人なのに、私のためにここまで協力してくれている上司を叩き起こすなんて申し訳なさ過ぎてできない。そんな日々が続き、やっと2週間で30ページの企画書作成完了。市役所に提出したのが9月。市役所から予算が下りる連絡が入ったのも9月。その後、キューピッチで、共同機関とのコーディネーションをすすめる。

3)実施(期間は2006年11月~12月の2ヶ月間

市から得た予算会計報告の期日の都合上、2006年12月中旬には終了させなければならない。ただし、他の協力機関との調整でマンパワーの問題にぶつかり予想以上に時間がかかったことから、プロジェクトを始められたのが11月と非常に遅い出出しになった。

第一段階:
11月に実施した栄養教室は、民間の電力会社と市役所から資金面での援助、国立大学からマンパワーの協力、2つの民間精製会社から大豆100Kgの寄付を得た。国立大学の栄養科研究所に勤める技術者が講師となって、大豆を使用した栄養教室を市内の8つの医療施設の医療関係者、8つの公立幼稚園の先生、各医療施設が招いた地域の代表者(大概は母親)を対象に4日間のワークショップ(実施:大豆を使用した料理教室、理論:栄養や大豆のベネフィットについての理論について)、また、教室終了後には土曜日に市の中心地プラサにて参加者が中心になり展示会を開催し大豆料理の販売を行った。TVで広報活動をしたのが功を奏したのか、多くの来場者が!大豆商品もほぼ完売した。また翌日には展示会の様子が地元の新聞の一面に載った。

第二段階:
プロジェクト第二段階では、第一段階に参加した医療関係者がファシリテーターとなって各診療所の管轄化にいる住民、特に2歳以下の幼児をもつ母親に対してキャパシティービルディングを行った。基本的には、企画から実施まで各診療所が責任を持って行う。私の仕事は、マテリアルを用意すること、ワークショップを視察すること、その他問題が生じれば共に解決できるようサポートすることである。市から得た予算会計報告の期日の都合上、開催のためのコーディネーションや準備作業を早急に進めなければならなかったが、第一段階終了後、各診療所の担当者たちがそれぞれの企画書を中々提出してくれなかった。配属先の上司らまで心配してくれて、各診療所の代表者らに圧力をかけてくれた。おかげで、ぎりぎりではあったものの6箇所の医療施設主催で計9つのコミュニティーにて300名近い人を対象に栄養教室を開催することができた。

4)今後の計画
今後、当プロジェクトの対象者となるのは、市内65の公立学校の教師と売店の売り子、老人会、障害者グループである。今年度も新たに市から予算を取れるようにして実施したい。また、第二段階の栄養教室が予想以上に参加者や医療スタッフから好評を受けた。今年度も他のコミュニティーで実施して欲しいとの声が上がっている。なんとか、予算をうまく回したいところ。

5)プロジェクト実施によって得たもの
まず、人間関係の深化。特に、配属先と各医療施設からの信望を得たこと。プロジェクト作成から実施、事後報告書作成やフォローアップの一連を周りの協力を得ながらであっても私の責任の下で一通りやったことで、次は何をしようかなんて向こうから声がかかるようになった。次に、私自身のスキルアップ。こうやって、プロジェクトって実施するんだとか、現地スタイルの細かい報告書や企画書の書き方とか、領収書に必要な項目とか、かかった費用のまとめ方とか、各診療所に企画書と報告書を出させる必要がなぜあるのかとか、常に各診療所内部での力関係とか、配属先と診療所の上下関係とか、診療所のキーパーソンが誰なのかとか、数え切れない学びを実地で享受することになった。

6)所感
今回のプロジェクトはまさに私が将来に渡って専門職としてやっていきたいと思っていたこと。すべてのプロセスに関わったので、全体を見ることが出来た。これが実現できたのは、一重に私の周りにいる家族のような同僚たちのおかげ。行き詰ったときには必ず所長Pilarに相談。彼女の的確なアドバイスと彼女の権限をお借りしてさまざまな困難を乗り越えられた。スーパーバイザーRosaは、アメリカNGOと10年以上働いてきた優秀な人で、企画書・報告書作成の方法やプロジェクト実施のヒントをコト細かく授けてくれた。各診療所の代表者への圧力も彼女がかけてくれた。秘書Jennyは、招待状、報告書、企画書、申請書などのレターを美しく作ってくれた。統計担当者Dannyは、地元の栄養事情のデータをまとめてくれた。衛生管理担当のRudyは巡回の際にバイクで足をだしてくれた。また会計通な彼はかかった費用のまとめ方を伝授してくれた。他にも後10人は軽く紹介できるけれど、さすがに読む側的にうざいだろうからやめます。

次の一年も実りあるものになりますように。さあ、がんばろぉ。

Bolivia me hace coger experiencias nuevitas por mi vida




「○○初体験」がなぜかここボリビアで足の指10本含めても収まりきらないほどある。
このブログじゃ、はじゅかしくって言えないことの方が多いわ。あんなこと、こんなこと。いやん!
今回は大盤振る舞いで、下記で3点紹介します。

①初めての一人酒
モト彼ぴのJと別れた週から始まってしまいました。でも、もともと赤ワインは大好きでね、ボリビア産、結構美味なんよー。どれもこれもフルボトル2ドル以下。休みの前日位いいじゃないっぃぃぃ。

②食べれるものが増えた
中学生以来、トラウマで特定の食べ物にアレルギー(自称)がありまして、今まで決して口にしなかったものがありました。チョコレート、ピーナッツ、アーモンド、牛のステーキです。まぁ、決して体にいいものじゃないので、食べなくってもって思っていたが、なぜかここボリビアで食べるようになった。食べられるを通り越して、かなり食べてる。

③ラテンダンスで1位
NACHITOダンス歴:
幼児・・・NHK「お母さんと一緒」の歌のお姉さんと毎日TVの前で「ぞうさん」の曲に合わせて腰をFullに振る・振る・振る。
小学生・・・ジャズダンスを習う。
中学生・・・創作ダンスを少の少々。
高校生・・・ポップとチアを少の少々。
大学生・・・ハウスとHIPHOPを少の少々。アメリカン・モダンダンスを少々。
ボリビアで・・・ラテンHIPHOP、サルサ、チャチャチャ、サンバを少々習う。

基本的には、すべて少々を繰り返してきた私。最近、任地で一番大きなジムのダンス大会(ラテンとサンバの部)で1位の座を得ました。(注:ボリビアとはいえ、ダンスの大陸、南米でですよ。私がいけてたのか、コンペ参加者が相当いけてなかったのか真相は定かでないですが。)最近、通っていたサルサ教室でアメリカ人とブラジル人生徒から「巨匠」というあだ名を頂きました。最近、ラテンダンス教室の先生にならないかとスカウトされました。最近、少々を卒業して本格的にダンスをするべきじゃないかと生涯エンターテイナーでありたいNACHITOは血迷っています。踊りは国境を越えます。いつか一芸として活きるときが来るはずです。

おちがなくてすみません。もっとグロテスクで如何わしい「初体験」は個人的に聞いてください(冷汗)


写真は同僚である看護士(統計担当)Dannyの誕生日会で。
注)こっちでは、誕生日の主役はケーキに刀を入れる前に顔を突っ込む習慣があります。

Friday, January 12, 2007

Mi amor, mis padres




12月30日~1月7日まで日本から親が来た!
人生で最高のお正月になった。愛する家族と大好きなアエルゼンチンで過ごす。
今回我らが見物したのは、世界遺産イグアスの滝と南極に果てしなく近い地パタゴニアの氷河。
パリを思わせる首都ブエノスアイレスを飛行機で行ったり来たりの旅。
諸君、アルゼンチンは大きいのだ。

アルゼンチンの魅力は、あの艶かしい男性達ばかりではない。その自然の多様性、食文化の華やかさ、タンゴの音楽とダンスに象徴的な情熱的な愛情表現、トーンの高低が激しくまるで歌っているかのように聴こえる美しいスペイン語、各地方が独自の文化を保持していることにもある。

あっ、ちなみに、「私がアルゼンチンいいなー♪」て言う時は大概、男性のことを思いっきり暗示してます。肌が白いのに、髪が黒。緩やかパーマがかかってて、長さは首を隠す程度のボブ。目が緑とか青とか薄い茶とか。香水の広告に出てきそうな色っぽい目つき。アメリカ人や欧州の白人さんとは全然違うのです。極めつけは、皆こんななんじゃ。ブエノスアイレスの町をちょっと歩くだけで、ひぃーひぃー言ってしまう。

さて、10日間の旅で3キロ増です。赤ワインを毎晩空け続け、あれだけの量の肉を貪り食ったのも人生で初めてにして最後になるだろうよ。アルゼンチンの食の豊かさの象徴。

ボリビアでの活動後、日系の機関@アルゼンチン駐在、現在本気で考慮中。

No pienses eso

憧れは我を駆り立てる。
憧れによって我は不屈の戦士となる。
憧れのために生命と希望とにあふれ我は華やかに生きる。

明日が楽しい。今日が恋しい。昨日が眩しい。

「君に憧れるのが怖い。」と目をそらして地面を向いたまま言った。

「だって、
憧れは人を盲目にさせ荒廃させる。
憧れは人の夢を壊す。
憧れに焦がれて思い悩む。
君が南風に乗って去ったら後に残るのは残酷な憧れだけ。
憧れは悲劇。」

我は平然と、この憧れを甘受する。
君は悲しげに、この戯れに抵抗する。